私はFPとして少し変わった経歴を持っています。
元々日本では不動産関係の仕事等をしていましたが、その後オーストラリアに渡ってFPの資格をとり、現地の会社でファイナンシャルプランナーとして働いていました。
どうしてオーストラリアでFPとして働くことになったのかその経緯は以下の通りです。
FPになるきっかけ、いざオーストラリアへ!
2003年のある日、十数年ぶりに突然オーストラリアにいる叔母から電話をもらいました。
内容は「ファイナンシャルプランナーって興味ある?」というものでした。
当時その方面に大変関心をもって勉強をしていたため「興味すごいあります。」と話したところ、「オーストラリアに来てみない?」というものでした。
最初は?があまりにもたくさんありましたが、私は躊躇なく「行きます!」と答え、飛行機に飛び乗りました。
それが私のファイナンシャルプランナーになるスタートでした。
当初は言語も習慣も考え方も異なる現地で驚きばかりでしたが、大らかでユーモアがあるオーストラリア人気質にも支えられ、ほどなくして順応し生活も楽しめるようにもなりました。
FP会社で業務を見させてもらいながら、仕事を開始するための勉強に専念し、約1年後にFPの資格を取得し晴れてFPの一員となることができました。
FPとして始動
2004年には日本FP協会のAFP資格も取得し、両国の内容の違いも学びながら仕事をできたことは良い経験をさせていただいたと感謝しています。
働いていた会社はファイナンシャルアドバイザーが1000名を超える大規模なグループに所属していて、毎年700名ぐらいが一堂に集まるカンファレンスにも参加する機会をいただいていました。
4日間毎日ホテルで朝から夜までみっちりと勉強や実践研修をした経験はFPとしての視野を広げるのに大いに役立ったと思います。
最終日には毎年打ち上げのパーティが開催されていました。
パーティのテーマの「色」が2つ指定されていて、皆さんその色にあわせた服を用意して着飾って出席します。
この年は「Black & Gold」でした。
そして下の写真の方々のテーマは「はち」です。
この年の開催場所はラスベガスでしたが、相当気合が入っていてオーストラリアからわざわざこのような衣装をもっていっていました。
本当にブーンと言いながら手を広げて群れをなして飛んでいたところを捕まえました!
こうみえて実は彼らは優秀な金融関係の方々です。
見るもの聞くものすべてが新鮮で仕事のやり方やライフスタイルの違いなども目の当たりにしました。
私は当時、当然日本での仕事のやり方しか見たことはありませんでしたので、期限の定まっている急ぎの書類の作成などは、多少残業してでも当日中に終わらせるということが当たりまえに思っていました。
現地では仕事は分業化されており書類の作成作業を担当のスタッフに依頼することもあったのですが、もちろん当日中には終わるだろうと見込んで依頼した業務が、「週明けになる」 ことなどが何回かありました。
最初は「何ていいかげんなんだ!」と若干憤慨していた面もありましたが、私の持っていた考え方に問題があるのではないかと思うようになりました。
少し残業をすればそのくらいすぐ終わるでしょう?なんて思いがありましたが、それぞれのメンバーには生活があり家族もいます。
会社で働くスタッフは17時になった瞬間に仕事を止め、家族の待つ家路へと急いでいました。
仕事も大事ですが、それと同等かそれ以上に家族やライフスタイルを大事にしています。
「少しぐらい残業すれば」という考えは自分の勝手な都合を相手に押し付けているだけで、相手を尊重していないのだという風に反省をしました。
そもそも、時間内に間に合わない依頼をした方が悪いわけで、それを見越して段取りを組む大切さを学びました。
そのためには自分が前倒しで動いて、時間内に終わらせるために可能な限り業務を効率化する必要があることにも気付きました。
一方で、オーストラリア人でFPでもある会社の社長は根っからの仕事好きな働き者で、遅くまでよく働いていました。
能力がもともと高い人が、自分が好きなことで前向きに働くことができれば結果はおのずとでます。
自分も働いているんだからお前も、などという同調圧力など一切なく、個々の裁量にまかしていました。
上司がいるから会社に遅くまで残ってだらだらと長時間働くということはまったく無意味で、時間内におわらせるよう合理的に日々業務の改善し、自分の能力を高めていくことが結局お互いの大切な時間や価値を生んでいくんだということを学びました。
2008年金融危機とFPとしての危機
2008年には世界的な金融危機となったリーマンショックがあり、金融業界全体が壊滅的な打撃をうけた時も経験してまいりました。
人生と同様、順風満帆の時もあればとことんまで落ち込むこともあります。
殆どの方が損失を出している経済環境の中で私自身のご相談者も例外ではありません。
市場も大きく収縮するなか、所属していた会社が売却されるなど、身の振り方に迷いました。
ひどく落ち込むことや無力感などを感じることもある中で模索を続けていました。
金融危機以後、世界景気はそこから徐々に回復し、つい最近までは歴代最高を記録している市場があるところまで回復してきました。
しかし、歴史は繰り返すといいます。
一時的、短期的な利益だけを追いその成果を誇っていても、大きな波がきた時にあっという間に飲み込まれてしまうという失敗は歴史上何度も繰り返されています。
一方で、リスクを取らない資産設計は結果としてリターンも得られず、目標とするライフプランの達成が難しくなるという別のリスクをとることになるかもしれません。
リスクをどのように分散し、リターンを何でどこまで期待するかという設計は、ファインナンシャルプランニング上でも最も重要な位置づけの1つです。
完全な「だめ社員」だった頃の私
不動産は資産分野ではミドルリスク・ミドルリターンと呼ばれる分野になり、資産の中でかなり大きい割合を占めることが多い傾向があります。
住宅は投資とみることは少ないでしょうが、資産分野としてはここに位置付けられます。
一時、現地でFPもやっているという不動産会社にも所属していたことがあります。
居住用とともに投資用としてかなり積極的な商品も扱っていました。
私自身は不動産の販売員の資格も取得して現地の物件も扱えたのですが、そこでは完全にだめ社員でした。
私は、ファイナンシャルプランナーとしての自負をもっていましたが、求められていた役割は単純な営業活動でした。
当たり前ですが、優秀な営業マンに求められる役割は、いかに高い商品を気持ちよく買ってもらうかで、商品価格は高ければ高いほどよいということになります。
どうしても、リスクとリターン、価格に対する物件価値などをみる視点が邪魔をして、ほとんど積極的に商品をすすめることができませんでした。
そんな姿勢の営業マンから買う人は、ほぼいないでしょうし、そもそもそんな役割も期待していないでしょう。
ただ、そのような姿勢を別の意味で評価していただける声があり、また、このままではだめだという内なる声が、次のステップへ踏み出す決意へとつながりました。
ファイナンシャルプランナーとしての役割
2014年に日本に帰国してからは、ファイナンシャルプランニングの6分野の中で足りないと感じていたところの研鑽につとめました。
土台となるライフプランとキャッシュフロー表の組成、嫌いだったけれども大切な分野の1つである保険分野、苦手だった相続分野などを実務を通して経験を積んできました。
長い時間走りながら考え、とことん悩んで出した結論は、結局私が学び経験し役に立てる部分は、やはりファイナンシャルプランニングだということでした。
大変な時期から何を学び、将来に備えてそれをどう乗り越えていくかを俯瞰的にお伝えしていくことは、ファイナンシャルプランナーとして大きな役割の1つではないかと思っています。
オーストラリアと日本で感じた大きな違いは、オーストラリアでは、資産運用へのアドバイスが中心であるのに対して、日本でのFPの勉強は人生設計を土台としたキャッシュフローを作るところから始まる点でした。
私自身は、本来のファインナンシャルプランニングは、人生設計そのものと、そこに最も大きくお金が関わるライフプランニング、住宅、金融、保険、税金、相続の6分野を長期的かつ横断的に見える化すること、対策をたて、実行すること、その結果、理想とする人生設計に近づけていくことだと思っています。
私がこれまで不動産や金融、保険業界で積み重ねてきた実務経験は、皆様が持っていらっしゃるお悩みや疑問を解消し、目標を達成するために必ず役立つものと思っております。
最後に
実際のご相談後に一番多い感想は、「〇〇年前に聞いておけばよかった」というものです。
このご感想をいただいたとき、お役にたてたという喜びがあると同時に、実際に〇〇年前のご相談であれば老後資産は何百万円~何千万円も違っていただろうという思いです。
こんな私ですが住宅購入や資産設計、ライフプランなど重要な決断をする場面では是非声をおかけいただければと思います。
その際には、目標を達成するためのお手伝いを全力でさせていただきます。
それでは皆様と「〇〇年後」ではなく「今」お会いするのを楽しみにしております。
FP相談事務所
代表 藤本 崇